砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずやあずきを食う僕

午前3時12分から起きているものの午前3時18分から何もすることがなかったので朝一番でかかりつけの内科へ行った。その帰りに「ライギョはいないか?」と誰にも聞こえないどころか自分にも聞こえない声でつぶやきながら新荒田川をボーっと眺めた。と同時に小腹が空いたのであずきのういろうを食べた。そのとき僕の中から熱いものが込み上げてきた。それを歌にした。「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずやあずきを食う僕」。奇しくも与謝野晶子が「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」という僕のそれにそっくりな歌を詠んでいる。

新荒田川

柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずやよもぎを食う僕

午前3時5分から起きているものの午前3時8分から何もすることがなかったのでトルストイの『光あるうち光の中を歩め』を読んでいるフリをしていた。午前3時16分に小腹が空いたのでよもぎのういろうを食べた。そのとき僕の中から熱いものが込み上げてきた。それを歌にした。「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずやよもぎを食う僕」。奇しくも与謝野晶子が「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」という僕のそれにそっくりな歌を詠んでいる。

光あるうち光の中を歩め

ぎふ町旅シリーズ第233弾@六条南:和と印の至福の朝ご飯

プチ大都会である岐阜シティの魅力をサクッと伝えるべく、岐阜市を細分化して町別に紹介する「ぎふ町旅」シリーズ。こんな画期的な企画をタダでやってあげているこの僕をもっと評価してやったらどうなんだ。ってことで、第233弾は六条南だよ。年中無休で午前3時に目が覚める僕にとっては午前8時はスマホ右手左手の君たちの午後2時とほぼ同じ。午前9時のオープンと同時に600円の朝ご飯を食べるために『生姜の仕合わせ 糸 岐阜六条店』に入った。その後、さらにもっとお値打ちな450円の朝ご飯を食べるために『NENA GIFU YAMANO CURRY』に入った僕は、甘い香りの熱々のナンを楽しみながら日記を書いて〆た動画はご覧のとおりです。

生姜にこだわった朝ご飯を味わうことができる『生姜の仕合わせ 糸 岐阜六条店』にオープンと同時に1番で左足から入ると600円の「朝ごはん」をゆっくり楽しんだ。うん、ヘルシーかつデリーシャスで思っていた以上にステキだった。デザートのわらび餅も熱い珈琲によく合った。

朝ごはん

和の朝ご飯の直後に印の朝ご飯を堪能すべく『NENA GIFU YAMANO CURRY』に駆け込んだ。僕はモーニングサービスのメニューの中からAセットをオーダーした。何とミニナンとカレーと焼きそばによく似たスパゲッティとゆで卵とサラダとスープのセットで450円(税込み)とはタダみたいなものだろう。タダじゃないけど。当然のことながら生ビールは別料金だったもののたったの300円だった。それに甘い香りがたまらない熱々のナンはモーレツに美味しかった。

モーニングサービスのAセット

[動画内検索タグ]生姜の仕合わせ 糸 岐阜六条店,NENA GIFU YAMANO CURRY

YouTube【砂漠に水】https://www.youtube.com/@sabakunimizu

27年目で逝っちまったタカギのホースの二代目の二台目

メーデー!メーデー!ホームセンターバローから北のお空を見上げたら巨大なタカギのホースが幸せそうに佇んでいる岐阜城を襲来する数秒前のようです。んなこたあない。ピーカンの青空がもったいないのでホームセンターバローまでタカギのホースを買いに行った。そのまま語ってもつまらないので宇宙戦争物語に変換させた僕の苦労を分かってやってほしい。その後、スーパーマーケットバージョンのバローでエビを30尾も買った。このことから容易に想像がつくように今日の晩ご飯はエビフライの予定はほぼ確定。ちなみに、エビは生き物としては「匹」で数えて食べ物としては「尾」で数える。それが正しいかどうか知らんけど。業務連絡です。アマゾンでタカギのホースをチェックしたら僕が買った商品のほうが600円以上も安くて激しくご満悦。

岐阜城とタカギのホース

ロダンと花子の二番煎じの弘道と夏子か綾子か桃子か純子

異常な湿気を打ちのめすためには異常な量の汗をかいちまえばいい。このイグ・ノーベル賞級の理論生物学の方程式に基づいてJR岐阜駅まで歩いたら湿気と汗と疲労で発狂する寸前だった。ったく、文系って使い物にならない社会のお荷物よね。許せ。病的な量の汗を入念に拭いながら駅構内を歩いていたら久しぶりに花子と会った。そう、あの『考える人』の作者であり世界的な彫刻家でもあるロダンのモデルになった花子だ。彼女が眠る墓は岐阜市内の浄土寺にあるんだ。これは【大門町】の回に偉そうに教えてあげたったよね。僕が小学6年生の図工の時間に木版を浮き彫りする授業があった。その際にシーラカンスを彫ったらあーた、12歳の少年の作品とは思えない見事な傑作だった。才能って隠せないものなのね。そのまま東京芸大を首席で卒業して彫刻家になる手もあったが、先端恐怖症ゆえに彫刻刀など尖った物に接し続けると頭の中の線が切れて誰かを刺しちまうかも知れないので才能を封印してやめたった。とりあえず何をやっても成功してしまう僕ゆえに彫刻家となっていれば夏子か綾子か桃子か純子と出会っていただろう。とにかく名前の最後に「子」は付いていたと思う。キラキラネームなど言語道断&愚の骨頂だ。

花子