砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第0259滴:指揮者と教祖様

さばみず認定の岐阜の名産を粒あん一杯の“起き上がり最中”にしようか、 伊藤英明も大好きなベンテンドーの“栗粉餅”にしようかって真剣に悩む @今だったら、低額な袖の下で思いっ切り買収される自信がある杉山です。

で、どっちにしても甘い物です。みなさんにとっては、お笑いでしょうが、 で、岐阜を愛する私にとっても、思う存分お笑いです。2時間悩んでます。

さぁ、そんな個人的には粒あんが大好きで粒あん風呂に首まで浸かりたい ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。

■人々の上に立つタイプ、しかも

頂点に立つタイプには、 2種類しかありません。

■そう、指揮者と教祖様なんです。

小さな会社の多くでは、 ほとんどが教祖様です。

■悲しいことに、小さな会社の

教祖様にロクな人は、 絶対にいやしません。

■そしてまた、良いか悪いかは別にして、

小さな会社って、教祖様しか作れない そんな世界です。そう、悲しい話です。

■さぁ、カリスマ美容師はどこへ行った?

教祖様ってカリスマと勘違いされます。 指揮者ってカリスマっぽくありません。

■カリスマって通じるのはヤクザな世界。

恐怖とカリスマって紙一重です。下は、 理解するのではなく威圧をされるだけ。

■で、どちらに背を向け耳を傾けるのか。

教祖様は信者ではなくお布施がお好き。 指揮者は演奏者と対峙そして棒を振る。

■上司のない部下と部下のない上司と。

これが、小さな会社の部下と 寂しい教祖様の関係なんです。

■小さなお山の大将には、なっちゃいけない。

少しの意識だけで、教祖様から指揮者へと 変われるものです。指揮台って結構、低い。

■目立つのではなく目立ってしまう。だから

目立とうとすると教祖様になって、全体を 見渡そうとすると指揮者へとなるものです。

┃編┃集┃後┃記┃───────────────────

世の中に絶対とか必ずとかって、 そんなことなんてあり得ません。

でも、こんな私は結構、言ってるらしい。 あり得ませんってのも同じ部類。

先日、ランチ@コンサルのときに、 南青山の女の谷垣有紀さんから、 かわいい顔でバシッと言われた。

“絶対って、よく言いますね”ってね。

ちょっと泣きそうになったけれど、 南青山なのに関西弁なので笑った。

大阪で生まれた女だったんです。

で、そんなことはどうでもいいのですが、 実家って奈良らしい。たしかに世の中に、 絶対とか必ずとかってことはありません。

でも、絶対に、必ず、そうなるんです。 そう、決まっているんです。絶対にね。

自分の意見や言葉に、かも知れません ってのは、絶対に必ず、あり得ません。

思いっ切り、断言をすればいいんです。

印鑑とサインさえ絶対にしなけりゃ、 そう、絶対に必ずこっちのもんです。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━