砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第0829滴:過去の延長線上に新しい線を引き続ける

ライブ感覚で体重が増える瞬間を見たかった私は体重計に裸で乗ったまま、 ニチレイのえびピラフを大量に掻き込んだ@約600gも増えた杉山です。

ちなみに、デザートはロッテのトッポをスーパードライで押し流しました。

ですから、洗面台の鏡に映った自分の姿を見たら少し情けなくなりました。

さぁ、そんなそのままシュワちゃんのポーズを決めたけどこれがまた貧相 ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。

■花いっぱいの棺の中に入れられた大きな人が瞼に焼きついています。

決してその光景を長い年月が経った今でも忘れることはありません。 その棺の中に横たわった人はヴィクトル・スタルヒン元投手でした。

■1925年。父親と母親と3人でロシアから日本へと亡命しました。

北海道の旭川に移り住むと11年後には読売巨人軍に入団しました。 通算で303勝もしました。プロ野球史上初の300勝投手でした。

■その棺の横で母親に手を握り締められた一人の少女がいました。

なぜみんなが目を真っ赤にして泣いているのかが分かりません。 その少女がナターシャ・スタルヒン。今回の【砂金の人】です。

■当時、彼女は5歳でした。それから丁度、半世紀が経ちました。

そのとき私は東京都葛飾区にある彼女の事務所へと伺いました。 すると彼女は私を確認するなり立て板に洪水の如く喋りました。

■止まりません。もうだれも彼女を止められません。

なにも私は訊いてないのに勝手に喋り出すんです。 歴史に残る大投手の娘だけあって喋りが直球です。

■しかし、私の印象とはまったく違う本当に苦労を重ねた人生でした。

父親は40歳の若さで自動車事故により惜しまれつつ他界しました。 母親は病に体を蝕まれ満足に働くことができないので自殺しました。

■ナターシャは父親を5歳のときに亡くし、

大切な母親を20歳のときに失いました。 彼女は母親の病気で健康に目覚めました。

■それから体にメスを入れる西洋医学の限界を感じ、

体の中を根こそぎ改善する東洋医学を学びました。 そして、自分が納得した健康食品を販売しました。

■売れました。モーレツに売れまくりました。でも、

それが一つのキッカケとなり悲劇は始まりました。 信じていた銀行からの貸しはがしに遭ったんです。

■その莫大な借金は現在でも毎月返済し続けています。しかし、

彼女はすっごく明るくてバイタリティの塊のような女性です。 それはとにかく新しいことや楽しいことに挑戦するからです。

■彼女は「なんの欲もないの。とにかく新しいことを立ち上げて、

楽しくやりたいだけなのよ。前にやったことはできて当たり前、 それを超えるくらいの自分を見出したいの」と私に言いました。

┃編┃集┃後┃記┃───────────────────

今回の【砂金の人々】では、私の血液分析の結果がご覧いただけます。

決して喜んではいけない状態だと言うことは自分でも理解できました。

偉大なる投手は偉大なる結果だけを残して、 無国籍のまま40年の短い幕を閉じました。

でも、303勝と言う結果だけではなくて、 脈々と受け継がれるDNAも残したんです。

それがこのナターシャ・スタルヒンのバイタリティにつながっています。 4時間も面と向かって喋り続けられて挙句の果てには血を抜かれました。

最初から最後まで喋りのトーンが変わらないどころか、 最後の方はあっちゃこっちゃと歩き回って喋りました。

そう、ナターシャはとにかく新しいことが大好きで、 ジャパン初上陸!と言うものを多く生み出しました。

それが日焼けサロンであったりメンズエステであったり。

紙の財産を失ったところで命さえあればなんとでもなる。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━