砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第0833滴:トラウマは絶対に体験できない

縁起を担ぐ後藤社長は自分の名前に因んで五十日に会いたいと必ず言うし、 市橋社長のセルシオのナンバープレートは184@かなり疲れる杉山です。

ちなみに、私がセッティングをして後藤社長と市橋社長を会食させました。

ですから、15日に後藤社長が待つ店へ184のセルシオで出掛けました。

さぁ、そんな名刺を交換すると中華テーブルでの上座を2人で悩んでいた ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。

■私は担任から無口の問題児と言われるほど無口な小学生でした。

と言うかきっと喋るポイントが分からなかったんだと思います。 大抵のことは忘れるんですが今でも覚えている場面があります。

■それは小学4年の9月の初めのことでした。どう言う訳だか、

夏休みの出来事を一人ずつ順番に黒板の前で報告をしました。 なんでもいいから一人につき2分以内で話せと言われました。

■私は静岡県の御前崎グランドホテルに家族で行ったので、

それを自分の番になったらお話しようと思っていました。 しかし、私の番になると私はアタマが痛いと言いました。

■だから、私の番は最後の45番目に繰り下げられました。

約20人分くらいの時間の猶予を稼ぐことができました。 しかし、あっと言う間に私の45番目がやってきました。

■すると黒板の前の私は「行った場所を忘れました」と呟きました。

担任の先生は「思い出せないの?」と冷めた目で私を眺めました。 私はホテルの名前やどうやって行ったかも鮮明に覚えていました。

■しかし、今さら後には引けないしそれを言ったら喋らなきゃいけません。

知らぬ存ぜぬで通そうと誓う私に担任は思い出すまで待つと言いました。 だから、本当なら2分で終わるはずがそれから30分も立ち続けました。

■1人の女子が手を上げて恥ずかしそうにトイレに行きたいと言ったら、

担任の先生は「杉山君が思い出すまで待っていなさい」と言いました。 約10分後、その女子はその場で可哀想な結果となってしまいました。

■私は一番高い場所でその一部始終を目撃してしまいましたし、

元々は私のせいなんだと十字架に張り付けられた気分でした。 顔面が真っ赤に紅潮して今にも泣きそうな自分を抑えました。

■そのときの場面は今でも油絵に描けるほど鮮明に覚えています。

ある意味、スケープゴートのようなさらし者にはなりましたが、 トラウマどころか今では定期的に思い出しては楽しんでいます。

■それが私の今まで生きた中での最も恥ずかしかったことだからです。

もっと言えば、この程度のことしか恥ずかしいことなどないんです。 だから、トラウマになるような出来事はこれから先にあるはずです。

┃編┃集┃後┃記┃───────────────────

仕事上でも家庭の中でもトラウマがあるとよく相談を受けます。

たしかに本人にとってみれば辛く苦しい体験かも知れませんが、 傍目から見れば「その程度のことくらい」と思えてなりません。

そんなときにいつも私は小学4年のこの体験をお話します。 みんなの前で立たされるだけならまったく平気なんですが、

私のせいで1人の女子が本当に恥ずかしい思いをしました。 しかも、私はお話したくないと言う故意で黙っていました。

現在、その彼女は私の友人の奥さんですが、 私の友人はその事実をまったく知りません。

これから先に発生する辛い出来事がトラウマになるんだ。 と思っていれば、絶対にめぐり会うことなどありません。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━