砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第0915滴:清く貧しく美しく~ある小学生の戸惑い

次女が使用するPCの検索窓に今まで調べたキーワードが残っていたので、 いけないとは思いつつのぞいてみた@思いっ切り ○| ̄|_ んだ杉山です。

ちなみに、そこには「節約」と「節電」と「おいしい料理」とありました。

ですから、何不自由なく育てたつもりが異常なまでの倹約家になりました。

さぁ、そんな将来の旦那様には申し訳ないと今の内からお詫びいたします ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。

■昨日は晦日だというのに古い町並みの川原町へ出かけました。

一本の電話があったからです。私は車に乗って向かいました。 電話の男性は私が小学生の頃にたまたま知り合った男性です。

■と言っても、小学6年生の私に対して、

その男性は当時、20代の後半でした。 私は新婚の家庭に一度お邪魔しました。

■私がお邪魔することを奥さんは知りませんでした。

でも、奥さんは「ご飯食べてって」と言いました。 お腹の大きな奥さんに「奥さん、何ヶ月ですか?」

■と、私はとても小学生とは思えない渋い声で訊ねました。

私は小学3年生の8月から変声期で声が低かったんです。 奥さんの“お”の発音がまるで綿引勝彦並みに渋いです。

■「もう8ヶ月なの」と照れながら奥さんは言うと、

お椀によそったご飯をソッと手渡してくれました。 「そうですか」と綿引った声で私は微笑みました。

■旦那さんと奥さんと私の3人が狭い四畳半にいました。

でも、ご飯を食べているのは旦那さんと私だけでした。 そう、奥さんは自分が食べるご飯を私にくれたんです。

■さすがに小学生の私でも状況が理解できました。

その当時、旦那さんは岐阜バスの運転手でした。 給料が安くて一合しかご飯を炊けませんでした。

■「奥さん…」と私は小さく漏らしました。すると、

「食べてね」と温かいお味噌汁を私に出しました。 「赤味噌か」と合わせ味噌を愛す私は呟きました。

■ご飯なんてジャーの中にいくらでもあるものだと思っていました。

食べるものには事欠かない生活だったので本当にショックでした。 その場面は今でも絵に描けるほど鮮明に記憶の中に残っています。

~ 長くなるので編集後記に続きます ~

┃編┃集┃後┃記┃───────────────────

■場面は昨日に戻って古い町並みの川原町です。

その男性は「30年ぶりだね」と言いました。 仕事上のお付き合いでも友人でもありません。

■なんとなく不思議な時間が流れました。でも、

とっても懐かしい心地良さを私は感じました。 還暦に近いその男性は今では立派な社長です。

■随分前に岐阜バスを退職して、

小さな会社を立ち上げました。 奥さんもお子さんも元気です。

■彼は「バカみたいだけど面白いと言われて購読したよ」と言うと、

「どこかで見たなぁと思ったらひろちゃんじゃん」と笑いました。 私はすべて受け入れて喜んでいいのかどうかちょっと悩みました。

■生まれてから食べるものにはまったく事欠かなかった私が、

生まれて初めて触れた「清く貧しく美しく」の場面でした。 社長になったその男性にそのお話をしたら覚えていました。

■その男性は「戸惑う小学生を見てちょっと頑張ろうと思ったよ」と、

その当時に貧しさをバネに頑張ろうと思ったことを打ち明けました。 すると「今があるのも声が低い小学生のおかげだね」と言いました。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━