砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第1167滴:恥ずかしい順番

先月の誕生日にいただいたケーキに付いていたローソクが残っていたので、 部屋のカーテンを閉めて43本に火を点けた@嫌でも暗くなった杉山です。

ちなみに、マッチやライターがまったくないのでガスコンロで点けました。

ですから、ローソクの火の中で伊勢正三の『22才の別れ』を聴きました。

さぁ、そんな閉め切った部屋の中なので10分もすると酸欠状態になった ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。

■ちょっと前に3人の起業家予備軍とお茶しました。

私は「お茶する」という名詞+動詞が許せません。 しかし、若い3人は「ばっくれる」とか使います。

■ちなみに、それは「しらばくれる」の最上級です。

そんなこんなで午後のコメダでシロノワりました。 要は、シロノワールを楽しく食べたってことです。

■そこで気づいたことがあります。それは、20代後半の男たちが、

私からのご質問に「いや、知りませんねぇ」を連発したことです。 それが、まるで自分のせいではないと言わんばかりの素振りです。

■「だって、知らないもん」という呆れた感じです。

「中学のときは社会科できた?」と私が訊ねると、 「数学と英語が得意でした」と1人が答えました。

■私の持論ですが、社会科が嫌いな人間は社長には向きません。

社会科は、バカの一つ覚えみたいに記憶するだけの教科です。 そう、臨機応変の「り」の字のカケラもそこにはありません。

■“いい国作ろう鎌倉幕府”や“鳴くようぐいす平安京”が、

ちゃんと覚えられない人間など優秀な社長にはなれません。 問題は、分からないことよりも知らない方が危険なんです。

■要は、応用問題が解けないことの恥ずかしさよりも、

年号を知らないことの恐ろしさの方が大きいんです。 それを知らないってことは免罪符にはなり得ません。

■「分かりません」より「知りません」の方が絶対に恥ずかしいんです。

「いや、知りませんねぇ」と平然と言えるその神経が理解できません。 「もっと恥ずかしそうに言え!」と3人の坊主たちに私は言いました。

┃編┃集┃後┃記┃───────────────────

難しい数学や物理などの応用問題を解くことよりも、 アケメネス朝ペルシャの年号を覚える方が大切です。

世の中は、知っているか知らないかだけの差なんです。 問題を解くだけならパソコンの方がはるかに優秀です。

しかし、どう言う訳か「分かりません」と言う人の方が、 「知りません」と言う人よりも恥ずかしそうに言います。

分からないのは、能力がないからではありません。 そんなつまらないことを考える暇がないだけです。

多くの人は「知りませんでした」を免罪符だと勘違いしています。 知らないから許される訳ではありません。恥を知れ!と思います。

なにか厄介な質問をされたら「知りません」ではなくて、 胸を張って「今の僕には分かりません」と言うべきです。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━