砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第1208滴:人を踏み台にした偽りの努力

お客さんから1回くらいブログにコメントを書いて欲しいと頼まれたので、 ま、しゃーねーなーと呟きながらパソコンを開いた@怖くなった杉山です。

ちなみに、コメントを書き込むのに変形した数字を読まないと入れません。

ですから、どれだけ目を細めて見ても数字が釘と藁人形にしか見えません。

さぁ、そんなブログにコメントもできないような水晶体になってしまった ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。

■ご存知のとおり、私はモーレツに好き嫌いが激しいです。

なんでも好き嫌いなく口に入れるなんて考えられません。 それは、食べ物だけに限らず人に対しても以下同文です。

■すると、私に気を遣って付き合う人が発生します。

「杉山さんは嫌いだと思いましたが」とか言って、 断腸の思いで仕方なく手を出したと語り始めます。

■こっちは、そうまでして付き合ってくれなくても構わないのに、

なにげに恩着せがましくまるで自分が被害者のように言います。 多いんですよねぇ。人を踏み台にした偽りの努力をする人間が。

■なにも同じ屋根の下で暮らしている訳じゃないので、

自分の好きなようになんでも黙ってやればOKです。 黙ってやればこっちも気づかないんだから。だって、

■忙しくてあなたになんか1cmも興味がないんだから。

なのに、イチイチやることに立派な理屈を作ります。 だから、人をダシに使う奴がそこら中にいるんです。

■もっと言えば、あなたがいたから私は頑張れたの!というのも同じです。

電車の中で騒ぐ自分の子どもに「隣のおじちゃんに叱られるわよ!」と、 隣のおじちゃんのせいにする親がいますが、それとなんら変わりません。

■隣のおじちゃんがいたから子どものシツケができたの!と同じです。

自分の考えの基礎となる大切な人物を礎(いしずえ)と言いますが、 相手からみれば礎も踏み台もまったく同じ捨て石としか見えません。

■相手が嫌いだと思うことをするくらいなら黙って去ることです。

あなたがなにに手を染めようとこっちはまったく構わないけど、 その汚れた動機と努力をこっちのせいにされたらたまりません。

┃編┃集┃後┃記┃───────────────────

とにかく私って世の中の6割が嫌いですからねぇ。 食べ物に限らず、やることなすこと嫌いなんです。

嫌いなものは全否定しますからね。 好きなものは寵愛しまくりますが。

すると、こっちに気を遣って行動を起こす人が現れます。 その段階で縁を切った方がお互いのためなんですけどね。

罪を憎んで人を憎まずとかキレイなことを言いますが、 私は違います。私が否定することをやったような奴は、

その行為自体は当然のことそいつ自体も認めませんし、 そいつを生んで育てた両親、尚且つ先祖まで遡ります。

いいか悪いかではありません。 私は、そーいう病気なんです。

多くの場合、相手に気を遣っているつもりでも、 それが相手をバカにしていることがあるんです。

だから、相手に気を遣って付き合うくらいなら、 黙って去った方が間違いなくお互いのためです。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━