さだまさしの『飛梅』をカーテンを下ろした薄暗い部屋で聴いていた私は、 いつかは太宰府天満宮を歩きたいと思った@道真よりも文太派の杉山です。
ちなみに、さだまさしの歌声にも久し振りに込み上げるものがありました。
ですから、歌詞の中に出てきた梅ヶ枝餅をネットショップで購入しました。
さぁ、そんな歌詞の中では「君が一つ僕が半分」とあるけど4つも食った ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。
■先日、ある社長と世間話をしていたら、
「43歳?なんでもできる年だね」と、 思いっ切り羨ましそうに言われました。
■そりゃ還暦を過ぎたあなたに比べれば…、
と、喉仏あたりまで出そうになりました。 そのときふと数十年前を振り返りました。
■たしかに、20代の頃よりも30代、
30代の頃よりも今の40代の方が、 知識も経験も豊富に決まっています。
■ところが、確実に行動力は衰えています。
動く前にお腹が一杯になってしまいます。 頭の中でシミュレートして終わるのです。
■40代だから満足することもありますが、
30代だから成功することもありますし、 20代だから失敗しても許されるのです。
■今思うと、その年代にしかできないことが結構、多い。
知識や経験がなくてもできることはたくさんあります。 年齢を重ねるにつれて確実に発想の間口が狭まります。
■そう、やってダメだったことをそのとき嘆くよりも、
やらずに年老いた自分を鏡で確認した方が辛いです。 その年齢にしかできないことが嫌ってほどあります。
■やってダメだったことなら取り返しがつきますが、
やらずに年を取った自分は墓場に近づくだけです。 した失敗よりもしなかった老人をきっと嘆きます。
┃編┃集┃後┃記┃───────────────────
私が思うに、その年齢だからできることより、 その年齢にしかできないことの方が強いです。
ほんの1~2年前までは、オヤジ狩りに遭ってみたくて、 わざわざ街灯のない公園をぶらついたものでした。でも、
今では体力にまったく自信がないので夜の外出どころか、 昼の日中でもほとんど家から出ません。危険が怖いもん。
腕力や筋力ならそこらの高校生には負けませんが、 持久力が小学校の低学年並みでお話になりません。
あ、確実に話の内容が逸れているそんな気がする。
その年齢にしかできないことは年中無休で起きています。 分岐点は、それに気づいてやるかどうかの違いだけです。
後になってから悔やんだりはしませんが、辛いだけです。 その日に起きたことがその年齢にしかできないことです。
では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━