私は今年で45歳で、四捨五入をすれば半世紀となる。 正直、この年になるとやり直しができない。
何歳になってもやり直すことができるというのは、 何の根拠も確証もない絵空事で、まったく無責任な話だと思う。
ここまで生きていると体のどこかが必ず痛いし、日常的に調子も悪い。 肝心なことは、それをどうやってごまかしながら上手く生きていくかだね。
それを完治させよう、根こそぎ取り除こう(根治)とすることが、 いかに無駄な行為かと最近、つくづく思う。
そう、貴重な時間をいたずらに費やすだけと。
過ぎた時間は1秒たりとも二度と戻らないし、 毎日、確実に死に向かって進んでいるのだから、
今の現状を受け止めながら日々暮らすことだけが正解だと思う。
そして、心の病もまったく同じことで、 目の前の不安とどう付き合うか、どうやってごまかしながら生きていくか。
1つに不安を不満に変えればOKだと思う。
3年ほど前に【不安と不満の裏返し】というのを書いたが、人間は、
生きていく上で確実に不安と不満のどちらかのカテゴリに属するはずで、 また、心の病の起因は不安でしかない。
将来が見えないから、この先が不安だから塞ぎ込むだけで、 明るい未来が訪れると信じていたら心の病気になることなどあり得ない。
例えば、今まで歩んで来た過去が嫌だと自暴自棄になる人がいるが、それは、 その過去を元に「どうせこの先もこの繰り返しなんだ」と思っているからだ。
不安の対象は、絶えず1秒後の自分自身にあるはずで、 過去は、それをあぶり出すためのものであり直接の原因ではない。
そう思う。
その不安を不満に変えれば、居酒屋の愚痴で、ある程度は解消するはずだ。
肝心なことは、自分の身に降り掛かった悪いことすべてを完治させよう、 根こそぎ取り除こうといたずらに時間を費やすだけの無意味な努力などせず、
それをどうやってごまかしながら上手く生きていこうかと考えることだ。
┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────
特に日本人は潔癖症なので、何でも根こそぎ取り除こうとするが、 それが存在するにはそれなりの根拠と原因があるはずだと思う。
だから、不安を取り除くのではなく、どうやって対峙しながらも日々、 楽しく生きていけるのだろうか?と考えることが正解だと思う。
寿命が300年あれば話は別だが、あと30年もないときに、 いちいちその原因を探して対処法方に時間を掛けている場合ではない。
人生は、絶対にやり直すことはできない。
だからこそ、酸いも甘いもいいも悪いも、今ある現状を土台にして、 それをどうやってごまかしながら上手く生きていくかが肝心だと思う。
前科者の前科は、なにがあっても絶対に消えないが、 それがそいつの将来に影響するとも私には思えない。
では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━