砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第1654滴:「よくやった。それがいいんだ」と言えるかどうか

自分の大切な部下がちょっとしたミスを犯したとき、 上司であるあなたは「よくやった。それでいいんだ」と言ったとする。

そのとき部下は「いい上司だ」とは決して思わない。

それどころか「やはりミスはミスだ。俺はダメな男だ」と凹むはずだ。 「それでいい」とは「本当は、それでない方がもっといい」ということだ。

言葉尻をとらえて遊んでいるように思えるが、 部下は、上司の言葉尻しか気にしないものだ。

すべて悪い方へマイナスの方へと解釈をする。その結果、 どう解釈しても悪く感じないときにはじめて「よかったんだ」と安堵する。

下の者は、絶えず目上の者の「揚げ足を取り」また「足をすくう」ものだ。

それを前提として、自分の可愛い部下と接するならば、

「よくやった。それでいいんだ」とミスを変にたしなめるのでなはく、 「よくやった。それがいいんだ」と本気でサラッと言えるかどうかだ。

それを言われた部下からすれば、

●「それでいい」=ひとまず自分の行為を認められる

●「それがいい」=最大限に自分の存在を認められる

と潜在的な部分で自然と解釈してしまうはずだ。

たった一言いや、一字の違いだが、受け手にとって見れば、 雲泥の差がある。

┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────

3日間も雨が続くといい加減、嫌気が差す。

下の者からすれば、話の真ん中の部分などどうでもよくて、 いつも言葉尻だけを気にするものだ。

必ず「自分を認めてくれているのか」また「自分は必要な存在なのか」と。

言い換えれば「自分はこの人にとって不要な人間ではないのだろうか」と。

絶えず、悪い方へマイナスの方へと勝手に誤訳しては1人凹むものだ。 しかし、その習性を理解していない上司にも問題はある。

話の真ん中の部分などどうでもいいから、 最後に部下の存在を認める言葉を吐けるかどうかが問題となる。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━