先週、2人の娘と茜部にあるくら寿司へ行ったとき「私の好きなお寿司で 帰れま10をやりたい」と次女が言った@勘弁してくれと思った杉山です。
ちなみに、それは10個すべてを正解しないと自宅に帰れないゲームです。
ですから、面倒臭いので「せめて帰れま5にしてくれ」とお願いしました。
さぁ、そんな「チーズ入りグラタンは寿司かよッ!」と本気で突っ込んだ ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。
結局、3個しか当たりませんでした。
ちなみに、次女の帰れま5は、きつねうどん、5種のチーズ入りグラタン、 えび、蒸しずわいがに、あぶり牛カルビの5個でした。
サイドメニューから2品も入っているので当てられるわけがない。
だから、そんなことはどうでもいいんです。
今から34年前。私が大学生とよく間違えられた小6のとき、 担任の先生の一言に激しく衝撃を受けました。
学級委員で勉強もできるA君とクラスで一番の暴れん坊だったT君が 小学生では超珍しい殴り合いのケンカをしたときのことです。
その日の帰りの会とき、担任の先生は次のように言いました。
「原因は何であれ、2人がケンカをしていたらA君が正しいと思うぞ」と。
12歳の私は「これは問題発言だろ」とここ(喉仏)まで出ましたね。
今でもその光景を鮮明に覚えています。
ケンカ両成敗どころか、その原因も知らないで勉強のできる方を クラス全員の前で「正しい」と断言してしまうその恐ろしい考え方。
それが大人の社会なんだと思いましたね。
人間は+(プラス)と-(マイナス)があれば、+を必ず選びます。
預金と借金ならば預金。二枚目とブサイクならば二枚目。 そして、仕事のできる奴とできない奴ならば前者。
たとえ我が子でも、勉強のできる子とできない子がいれば、 できる子を100%選びます。
選ばないにしても、できる子のほうを+と考え、できない子を-と見ます。
その証拠に「もっとお兄ちゃんのように勉強しなさい」と言いますよね。
それは、-を+に転じさせてから愛そうとするからです。 -のまま愛せることができるならば、そのような説教はしないはずです。
そうじゃないですかね。
私は、その人が+でも-であっても、それを個性として受け入れることが、 本来の姿だと思いますけどね。
そんなことを大学生とよく間違えられた小6のときに思ったものです。
しかし、34年経った今日でも大人の社会は1cmも変わっていません。
┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────
自分の部下、自分の子ども、自分の友人を +と-に置き換えて見ていませんか。
簡単に言えば、できる奴とそうでない奴という区分けでしょうか。
全部ひっくるめて1つのテーブルに乗せてやる度量がないとダメですよね。
均等に接することは絶対にできません。人間だから。
ただ、最初から差別していては元も子も大林素子もないので、 とにかく同じテーブルの上に乗せてやることだけはしないとダメですよね。
それなのにケンカの原因も知らないでA君が正しいと言い切る先生の程度が 知れる。そんな外道に教えてもらうことなど何一つないと僕は思いました。
ただ、それが大多数の考え方なのは紛れもない事実です。
では、また次回、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━