砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

借りであって仮ではない

所有することに意味を見出せない僕に影響を与えた神沢杜口(かんざわとこう)について語ろう。神沢杜口は江戸時代中期の随筆家だ。43歳で妻を亡くしてから娘一家に迷惑をかけまいとずっと一人暮らしをし、京都各地の借家を転々とした。彼のモットーが「この世に与えられた借りの体で借りの人生を生きるのだからすべて借りればいい」というものだった。至極まっとうな話じゃないか。自分自身が借りものなのに、家や車や身の回りの道具など取るに足らないつまらない物に対して所有しようとすること自体が滑稽じゃん。そこで僕の勝手な補足だが、ポイントは「借りであって仮ではない」こと。借りの人生と仮の人生とでは雲泥の差だ。この世は絶えず「本番」であってリハーサルでもシミュレーションでもない。それなのに「人生いつでもやり直しがきく」とシャーシャーと言い訳をする連中が多い。借りたものはキレイにしてから返せ。そのためには、「やるべきことを決めるのではなくやらないことを決める」ほうが潔い。