砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

そこにいた責任:この世にオギャーと生れた時点で過失は発生する

大阪の梅田で乗用車が多数の歩行者をはねた惨劇の映像をテレビで見ていた次女とパパ。すると次女が「運転手は病死だったんだよね。それだと被害に遭った人は可哀想だけど、あまり運転手を責められないよね」と神妙な顔で言った。「だよね。例えばね、交差点で信号待ちをしているときに後ろから脇見運転の車に追突されたら100%追突したほうが悪いよね」「だよね」「でもね、それって法律上のことであって本来は追突された側にも責任はあるとパパは思ってるよ」「どーいう?」「そこにいた責任」「は?」「だって、そこにいなけりゃ追突されないじゃん」「・・・。まぁ、そーだけど」「いいか悪いかは別にして自分の命の問題だよ。ビルの屋上から看板が落ちて来ないか、突風で飛んできた傘の先が突き刺さらないかって絶えず注意して自分の身は自分で守るんだよ」「それって疲れるよね」「今回も被害者に過失なんてないことは誰でも分かってるけどね、この世にオギャーと生れた時点で過失が0なんてあり得ないの」。

そこにいた責任:この世にオギャーと生れた時点で過失は発生する