砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

知らず知らずのうちに親しい友人までいなくなるその理由

昭和末期の頃とは違い、今の時代は嫌でも誰かと何かしらつながってしまっているのが実情だろう。まったく嫌だよねぇ、そーいうの。生理的に無理なんだよね、僕。だからこそブチブチと音を立てて手当たり次第に縁を切りたい衝動に駆られる僕がいる。だが、いくら切っても新しい芽が電光石火で出て来やがる。ってことで、積極的に縁を切って身ぎれいにしよう。この僕は自己肯定と自己満足を繰り返して生きて行きたいだけなので第三者の存在などノミのすね毛ほども興味も需要もない。ま、ノミにすね毛があればの話だが。誰にも期待せず、誰からも期待されない日常が僕の理想なんだよ。例えば、ブログでもメルマガでもそうだが「勇気と元気が出ました。ありがとうございます」と安い感謝で近づいてくる読者が揖斐郡揖斐川町の真夏の夜の電灯に群がる昆虫のように多かったし今でも多い。で、本当に救われたなら黙って金払え。原価は0で縁を結ぼうとするな、この野郎。こっちは自己肯定と自己満足のためだけに書いているのであってボランティア活動などは趣味じゃないんだ。と、君たちなら思うよね。へぇ~、そうなんだ。僕はそこまで理不尽な要望は押し付けないけどね。ハハハ、平成30年もそんな奴ですこの私。はい、ちょっと長めの巻頭文はここまでです。ベリー・インポータントなポイントはね、そいつの友達のことが大嫌いだから、次第にそいつ自身まで嫌いになっていくことだよ。「お前、何でそんな得体の知れない連中と付き合ってんだよ、ったく・・・」って感じでね。そうやってお互いが気が付かないうちに小さな溝が生まれ、ふと気が付いたときにはマリアナ海溝よりズコーンと深くなっているため元に戻ることは100%無理なの。友達の友達は所詮、そこらの赤の他人だ。そして、大切な友達もそこらの赤の他人のアップデート版に過ぎないと思っていればそれなりに気も楽だろうに。そんなことより残り物の冷ご飯で作った愛のエビピラフはエディット・ピアフが歌う『愛の讃歌』と同じレベルですっげぇ美味いし限りなく原価は0に近い。ま、正確にはエビピラフではなくエビチャーハンだけど、ぷ。

エビチャーハン