砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

誰からも理解されないという唯一無二の自由

医学部の一般入試において日本大学でも不適切な配慮があったらしいが「ま、日大だから(爆)」で世間が100%納得してしまう今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。ここまでくると立派だね。別にけなしてなんかいないよ。別に褒めてもいないけど。この僕は3週間に3~4回くらいの割合でカレーを食べたくなるのだが、2週間に7~8回くらいの割合で思うことがある。誰かに理解される必要などあるのだろうか?ってね。DNAレベルでつながった者たちにも1ミリも理解されなかったこの僕が説明しよう。例えば「俺はこーいう人間だ!」と主張する自分。「いやいや、君はあーいう人間だよ」と反論する他人。だから「誰も何も分かっちゃくれない」と凹んだり「違うぅぅッ!」とヒステリーを起こす君たち。ハハハ、分かりやすい哺乳類だこと。さ、見上げてご覧よ。もう1人の自分がいるじゃないか。そう、観念上の自分は空にある。もう1人の自分が絶えず上空から俯瞰して危険を察知したり悪しき方向へ行かないように見守っているんだよ。そんな常識的なことも知らずによく今まで生きてこられたもんだぜ。「なんかこっちの道はおっかねぇな」というときは、上空からもう1人の自分がアラームを送って来ているんだお。つまり、周りが何と言おうと絶えず今の自分が正しいっちゅうこっちゃがな。でなければ、とっくの昔に死んでいて今、ここにはいない。でもね、この僕が「俺はこーいう人間だ!」と主張して「そうそう、君はそーいう人間だよ」と同調されたら「低俗なお前ごときに高尚な俺の何が分かるんだ!?」と本気で怒り心頭に発しまくっちょります。ま、それも賛否両論だと思いますよ。でも、誰からも理解されないってことが究極の自由だと真剣に思っているんですけどねー。それでは宴もたけなわではございますが、発泡酒の酔いも地味に地道に回ってきたことですし、そろそろお開きにしたいと思います。そこで今回のタイトルを正確に言うと「自分以外の誰からも理解されないという唯一無二の自由:誰かに理解されるような午後5時以降に並ぶスーパーの惣菜みたく安い人間になったらジ・エンド」だよ。2日目のおでんって美味しいね。ちなみに、赤の他人よりもDNAレベルでつながった者のほうが確実に理解する能力に欠けている。

発泡酒とおでん