砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

嗅覚を研ぎ澄ませばより豊かな暮らしができる!かもよ

トッポをかじりながら「僕にとっての史上最悪な罰ゲームとはいったい何だろう?」と考えた結果、ドーバー海峡を立ち泳ぎ限定で横断させられることだった。そのシーンを目を閉じて想像していたら急に動悸が激しくなって何も手に付かなくなったという理由で今日一日を過ごしたことは何かしらの罪になるのだろうか。いいえ、罪にはなりませんが大きな病院で診てもらうことをおすすめします。どうもありがとう。お話はコロッと変わるが、旅先などで「お!懐かしい風景だなぁ」と思うことがしばしばある。これはデジャビュとはまた違うもので「美濃町のおばあちゃんちの縁側にそっくり」「野良犬に追っかけられた大洞光輪公園の原っぱみたい」ってな感じだろうか。この僕の少年の日の思い出に一緒に浸ることができて君たちって本当にハッピー野郎だね。で、それは視覚なんだよね。ある光景を見てそのように感じるわけだが、ところが何かのニオイを嗅いだときにもまったく同様にそう感じることがある。それがすっごく不思議で心地いい。しかも視覚より嗅覚のほうがより鮮烈なインパクトがあるように思えてならない僕がいる。なぜだろう?ニオイだけだよ。5日前の龍野城の帰りの列車の中で僕の左隣の席に34歳と7か月くらいのうだつが上がらなさそうな男性が座った。彼の体臭なのか香水なのか、はたまたそれらが絶妙の塩梅で混ざり合った化学物質なのか、とにかく僕にはモーレツに懐かしく心地いい匂いだった。ただ、それが僕の少年期なのか青年期なのか浜松の独身寮で寂しくて号泣していた頃の匂いなのかは分からない。視覚の記憶は腑に落ちるが、嗅覚にもそれがあり、しかもそれは視覚以上のインパクトがあるのがすっげぇ不思議だ。よく「味は味覚より嗅覚で決まる」と言ったりするが、鮮明に残る記憶も視覚より嗅覚かもしれないね。ま、何れにせよ五感のうちの80%以上を視覚に頼りすぎている日常生活を改めようと思った。とりあえず花粉症で鼻が詰まっている君たちはすぐにでも処置をして嗅覚を整えたまえ。今日の晩ご飯は視覚を使おうが嗅覚を使おうが福耳を澄ませようが残り物のご飯で作ったエビチャーハンの味に変わりはなかった。

エビチャーハン