砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

江戸から令和へと十一代目が伝統を継ぐ西大黒屋の八壺豆

養老鉄道の列車に身を任せながら西側の車窓から眺める山桜は格別だった。僕が知らないうちに桑名郡から桑名市へとバージョンアップした多度町を訪れた一昨日の僕は、多度川を北へ渡ると最初の三叉路を左折したいい感じの街道沿いを歩いた。そのとき「宝永年間創始」「手造りの味」「八壺豆」という3つのワードが書かれた垂れ幕を発見した。宝永年間って平成より前だよな。豆関連だから和菓子か味噌のどっちかだろう。そんなこんなで『西大黒屋』に入った僕だった。

西大黒屋

ハハハ、味噌じゃなくてリアルに安堵した。誰もいない店の端っこで「宝永年間」をググったら1704年から1711年までの期間じゃないですか。平成どころか昭和や明治より前だった。ついでに「八壺豆(やつぼまめ)」もググったら「多度豆(たどまめ)とも呼ばれる。多度山の八壺渓谷に由来し、そのみそぎ滝のしぶきをかたどったものであり多度大社参詣のお土産として親しまれている」とのこと。ウィキペディアよ、どうもありがとう。由緒正しき和菓子はいい。

西大黒屋の店内

すると、店の奥から「いらっしゃいませ」と大胆な時間差攻撃で女将さんらしき女性が現れた。聞けば、十一代目とのこと。「名物は八壺豆ですか?」「はい、そうです。私の手作りですよ」。目の前の八壺豆の袋を手に取った僕は、その袋の裏を見たら「蒔田登美子」と書いてあったので「ときたさんですか?」と尋ねたら「まいたです」と返ってきた。どうもすびばせん。「これはどうやって作るんですか?」「これは・・・」。長くなるのでかいつまんで説明しよう。北海道は十勝産のブランド大豆を炒ると沖縄県は波照間産の黒糖を溶かした黒蜜をかけて国産のきな粉を絡める。それを15回も繰り返すとか。最後に滝のしぶきのように砂糖をまぶしてできあがり。昔ながらの道具を使って徳川5代将軍である綱吉の時代から究極のハンドメイドを貫いている。

十一代目の蒔田登美子さん

ちなみに、江戸時代から十一代目が作っているわけではないので念のため。ま、そりゃそうだ。自宅に帰るまで我慢できなかった僕は、帰りの養老鉄道の列車の中で大量の砂糖をこぼしながらお口の中へ放り込んだ。これは豆菓子というより古き良き駄菓子の定番であるきなこ棒のような童心に返る食感だった。幾重にも重なった伝統が滋味に富んだ奥深さを僕に感じさせてくれた。

西大黒屋の陳列棚

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