砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

糖分を摂取したら元気になったので晩ご飯はエビグラタン

昨晩は飲みすぎたようで野生の馬が前頭葉の中をパカランパカランと走馬灯のように音を立てて駆け巡った。ただでさえ年中無休でやる気がない僕はと言えば、さらに24時間体制でやる気がなくなった。と同時に食欲もなくなった。だが、糖分だけは摂取しなければ物理的に逝っちまう気がしたので最寄りのバローで買ってきた黒糖まんじゅうを右手の親指と人差し指でちびちびとつまみながら食べた。欲しがっても生後1か月のちびっ子ギャングのヤングにはまだ1年早い。

ちびっ子ギャングのヤングと黒糖まんじゅう

「脱・女系家族」宣言を発出した息子たちとスルーした僕

長女の旦那であるSちゃん+次女の旦那であるA君+この僕=3人が寄って集って『Sya楽』で飲んで食った。当然のようにお支払いは2人のギリギリ義理のパパである僕だった。ただでさえ女系家族の中で肩身が狭い思いをしている我々ゆえに腹を割って話をするとブログには書けないあんなことや「こ、こんなことまで?」という不平不満&罵詈雑言が噴き出した大和田(爆)。今後はメンズクラブとして定期的に開催しよう。だから、許されるならば割り勘にしてほしい。

Sya楽でメンズクラブ

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ぎふ町旅シリーズ第237弾@茶屋新田:令和時代の御茶屋御殿

プチ大都会である岐阜シティの魅力をサクッと伝えるべく、岐阜市を細分化して町別に紹介する「ぎふ町旅」シリーズ。こんな画期的な企画をタダでやってあげているこの僕をもっと評価してやったらどうなんだ。ってことで、第237弾は茶屋新田だよ。読み方は「ちゃやしんでん」で正解だ。今にも降り出しそうな曇天を仰ぐと長良大橋から墨俣城を臨んだ。まずは法事や宴会に適した大部屋ばかりがある『魚吉』の座敷で生ビールを飲みながら「天ぷら御膳」を堪能した。貸し切り部屋も料理も大満足だった。我が家の忘年会で使おう。その後、ブラックとイエローの斬新なデザインが目を引くコンテナのカフェ『縁 ENISHI』で自分の手で挽いた豆の熱い珈琲とモーニングサービスのパンとサラダを満喫しながら日記を書いて〆た動画はご覧のとおりです。

「へ?僕の貸し切りでいいの?」と心の中でつぶやいた。ま、僕に心があればの話だが。法事や宴会に適した大部屋ばかりがある『魚吉』だけれど今回のようにロンリーウルフの僕でも喜んで受け入れてくれた。どうもありがとう。周りの目を気にすることなくカラオケ設備のある部屋を僕の貸し切り状態で寛ぐことができた。目の前に供された「天ぷら御膳」も十分に堪能できた。

天ぷら御膳

雨が降るどころか雲間から日の光が差し込んできた。僕は街道沿いにあるブラックとイエローが『人造人間キカイダー』に登場するハカイダーを鮮明に思い起こさせる斬新なデザインのカフェ『縁 ENISHI』に入った。それはベーカリーに併設されたコンテナの狭いカフェだった。「店内で珈琲が飲みたいんですが」「豆はご自分で挽かれますか?」「豆が挽けるんですか?」「こちらで挽くこともできますしご自分で挽くこともできます」「だったら自分で挽きます」。当然のように美味しかった。そして、モーニングサービスのパンもサラダも100点で言うことなしだった。

熱い珈琲とモーニングサービスのプレート

[動画内検索タグ]墨俣城,魚吉,縁 ENISHI

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YouTube【砂漠に水】https://www.youtube.com/@sabakunimizu

今日から88日後に届けたい僕からの愛と誠のメッセージ

今年も残り87日となっちまったので来年用の年賀状のデザインを考えたものの僕はジャパンの悪しき慣習ワースト5に入るだろう年賀状を出すことをとっくにやめた清く正しい人間だった。そんなこんなで今年もお世話になった記憶は微塵もございませんが、来年は可能な限りよろしくお願い申し上げます。それではできるもんならせいぜい良いお年を必死こいてお迎えください。

巳年

岐阜市平和資料室の焼夷弾を思い浮かべながらハンバーグ

第二次世界大戦の最中、米軍により行われた岐阜県岐阜市に対する空襲を「岐阜空襲」と言う。1945年7月9日のほぼ午後11時34分にE46集束焼夷弾、M47焼夷弾が投下されると翌日のほぼ午前1時20分に空襲が終了した。そして、岐阜市中心部はほぼ焼け野原となった。そんな悲しい過去を今一度、全身で受け止めて平穏無事な今日この頃に深く感謝すべく『岐阜市平和資料室』を訪れた。だから僕は、そーいう男なんだ。資料室に入るや否やJR岐阜駅に近い加納地区に投下された原型のまま残った貴重なM47焼夷弾の現物があった。ほぼ決定している今日の晩ご飯の巨大なハンバーグを美味しく食べることができるのも先人たちのおかげだろう。

岐阜市平和資料室