相変わらず薄暗いうちに目が覚めた。ホテルの窓から天津テレビ塔を眺めた。
少し散策しようと思ったが、せっかくネットが24時間も使えるので仕事をした。
天津十景のひとつに数えられている街並みを散策したがタバコの煙臭かった。
長さ700メートルにわたり、民芸品や日曜生活雑貨類が所狭しと並んでいた。
すぐ近くの海河だが、水中が見えないこの川で泳いでいる地元民が4人いた。
アーケード街フェチには大好物の食品街だが、筆舌に尽くし難いトイレだった。
見る分にはそこそこ楽しめるものの買おうという気にはまったくなれなかった。
使い果たして1元も持っていなかったし。マクドナルドもどことなく薄暗かった。
「巨大な蛾のサナギか?」と思いきや、油で揚げた麻花という食べ物だった。
溥儀が1927年から天津を離れる1931年まで住んでいた静園が渋かった。
近くの路地裏が趣深い。後姿の男性が熱く語ってくれたが、意味不明だった。
まだ実際に住んでいるという現在進行形が物凄い。若い4人家族を見かけた。
溥儀が紫禁城を終われ、天津で最初に移住した場所がこのレンガ色の張園。
再び天津空港。周辺一帯は大掛かりな工事中だった。では、搭乗手続きへ。
そろそろヨーロッパ圏へ行きたいのだが、今のところ5泊以上の日程は仕事に支障を来たすので無理かも知れない。ここ数年の旅先はアジアが続くだろう。