砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

擬音で意思は通じない

昨晩の僕は熱海から名古屋へと向かうこだま673号の12号車で一人、孤独の「コ」の字と向き合っていた。「西村京太郎の2時間ドラマだったら、殺人事件が起きてもいい頃だな」僕は心の中でそうつぶやいた。すると前方から「ヒャーッ!」という叫び声が聞こえた。それは刃物で刺された女の悲鳴ではなく、脂っぽい男のそれだった。9番E席に座っていた僕は、7番C席を見た。そこにはハゲた上司と若い部下の2人がいた。「君ね、メシはガッツリ食って仕事は一気にバーッと片付けて人生をギンギンに楽しまないとな」ってな感じで上司が部下に力説していた。いるんだよねぇ、会話の40%以上をバーッとかシャーッとかの擬音で構成する愚か者が。擬音に頼る時点でコミュニケーション能力は限りなく0に等しい。意思の疎通が満足にできない奴にまともな仕事などできるわけがない。おそらく奴の話し言葉を紙に書き出したら送り仮名も間違っていることだろう。「交じる」は○だが「交じわる」は×で「交わる」が正解だ。