砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

うれしはずかし受動態

「22才の別れ」と「煮汁野菜のかいわれ」は似ていたところでまったく意味が分からない。昨日、下呂からの帰り道、僕は弘道。国道21号を愛車のドリーム号で制限速度±5キロで走っていた際に後部座席の義父&義母が各務原市鵜沼辺りで左手に犬山城を見つけた。2人が「いいね、犬山城」としみじみ言うので「え?行きたいの?」と僕は驚いた。ははぁ~ん、どうやら行きたいようだねぇ。「車で30分やん。そんなもん言ってくれればいつでも連れてったるやん」「まぁ、そうやねぇ」と何気に遠慮しているようだった。3日前に義理の弟の四十三回忌法要を行ったが、彼が生きていれば50歳。いいも悪いも自分の身に降りかかったことは100%受け入れるから今があるとおっしゃり続けている僕だけど、自分の身だけではなく自分の周りの第三者に起きたことも含まれるんだよね。当然、そうあってほしいなどとは1ミクロンも思わないが、実親から勘当されたこの僕がこのように義父&義母のお世話をさせてもらっているのも彼のおかげに違いない。やっぱ50歳を過ぎた頃から生きるという行為自体が「生きている」という能動態の姿勢から「生かされている」という受動態の姿勢に変化した気がした僕がした。生まれて半世紀、やっと大人っぽくなったようだぜ。そこでだ、コメダ珈琲店とのコラボ商品「パイの実・小倉ノワール」はイラッと来るぐらいザ・フツーだった。

パイの実・小倉ノワール