一番楽に生きる方法は、誰とも何とも比較しない絶対的な生き方ですが、 それができる人間はほとんどいません。
誰かと何かしら比較する相対的な生き方に終始するのが悲しい霊長類。
そこで、中学時代の同級生と話したときのこと、 とにかく年収や月の手取りのことばかり聞きたがります。
たしかに私は友人たちのそれよりも多少は多いです。
だって、個人事業主だから月給制のサラリーマンとは違い、 動けばすべてその中からまかなわなければなりません。
そこで思ったことは、同じ比較をするにも随分と幅が狭くなって来たなと。
あの頃は、自転車の後部座席に付いたウインカーや5段変速、 給食の早食いや田んぼでいかに早くカエルを見つけるかなど。
それらが競争であり、比較の対象であり、別にたいしたことでもなかった。
たしかに歳月は流れ、嫌でも大人になったものの、 その対象となる幅が狭くなり奥行きがグッと深くなったような気がします。
つまり、比較対象するものが少なくなり奥行きが深くなったということは、 見ようによっては中身やその質が陰湿になったということです。
それにもっと肝心なことは、発想が貧困過ぎるという点。
それしか見えないんだから。
足元が見えないんでしょうねぇ、老眼だから。
┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────
「脳のシナプスが音を立てて切れてんじゃないの?」と言ってやりました。
比較すること自体、まったく無意味で滑稽なことなのに、 その比較する対象すら空虚なものだし。
それでは仕事も上手くいかないわけだ。情けない。
と、吐き捨てるように言ってやりました。
こうしてまた昔の友人が1人減り、私を憎む人間が1人増える。
まぁ、私の人生にとって毒にも肥やしにもならない奴なので構いませんが。
どうせ比較をするのなら、もっと幅広く比べましょうよ。
では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━