孤独の定義を“三単現のS”の状態としている私は、第三者が一人切りで たった今、なにかをやっていると孤独と認める@3日前に決めた杉山です。
ちなみに、He plays tennis. の plays は、三人称・単数・現在のSです。
ですから、常識的にはテニスって相手がいるので孤独とは認定できません。
さぁ、そんな tennis のSはきっと複数形のSも兼ねているかも知れない ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。
■きっと欠点なんてだれにも存在してないし、
そう思っているのは自分だけです。だから、 自分の欠点を並べる人とは付き合いません。
■しかし、逆にちょっと慣れてきた関係では、
よく相手の欠点について聞くもんです。で、 こんな私が欠点について聞かれたときには、
■バタフライができないことだと言ってます。
そう、どれだけ激しく練習をしたところで、 客観的に溺れているようにしか見えません。
■そして、多くは欠点じゃなくて弱点です。
だから、弱点なんて弱い部分を鍛えれば、 いつかはそれなりに強くはなるもんです。
■しかし、欠点だったら、
欠けちゃっているんで、 元には戻らないんです。
■だから、欠点と弱点はまったく違います。
自分が満たらないって思った弱い部分は、 鍛え方次第でかえって強くなるはずです。
■それに本当に欠けて失くしっちゃった部分なら、
自分では決して気づくことはありません。そう、 欠けた部分なんて他人の目からしか見えません。
■そして、コンプレックスになるのは弱点しかあり得ません。
だから、欠点はコンプレックスにさえなれません。だって、 ないんだから。コンプレックスが生きる糧になるはずです。
┃編┃集┃後┃記┃───────────────────
欠点ってすでに欠けちゃってなにもないんだから、 どう頑張ったってコンプレックスにもなりません。
で、コンプレックスのない人間って、 味もなにもありません。例えるなら、
無味乾燥な紀州梅みたいなもんです。
良いところがあれば悪いところもあります。 強いところがあれば弱いところもあります。
なんでも半分ずつ絶対にあるはずなんです。
だから、弱い半分をコンプレックスにすればいいんです。 そして、弱い半分を欠点と勘違いして失くしちゃったら、
生きる糧となる大切なコンプレックスもなくなるんです。 なんか今日はまとまりませんが、とにかく欠点は、ない。
では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━