砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

こんな奴でもいなくなったら寂しくなるかもしれない

小学3年生の頃だが、個人懇談の席で担任の渡辺京子先生が「お子さんは学者肌ですよ」と言ったら「え?杉山ですよ。弘道ですよ。他の生徒と間違えていませんか?」と弘道の母親が答えたらしい。数日後、それを伝え聞いた僕は「血のつながりって何なのだろう?」と思った。51年間でこの僕を認めてくれた唯一の存在である渡辺京子先生は今、いったいどこで何をなさっているのだろう。もしご存命だったら102歳くらいだろう。京子先生、カンバ~ック!はい、セピア色の昔話に劇薬色の花が咲いた巻頭文はここまでです。昨日はヤンバルクイナ並みに貴重なこの僕の数少ない友達である世界のアツローと滋賀県のお城めぐりを満喫したった。ご存じのとおり彼には数々の問題があるため「3か月に1回は死んでくれ」と思うのだが、ふと「なぜに3か月に1回なんだ?」とよく考えたら「3か月に2回くらいおごってくれるから」だった。今後は彼自身のために毎月おごってもらおう。