砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

「だって、○○だから」の混沌(カオス)

「え!?スマホから煙が出てきてクラッシュしちゃったの?」「だって、サムスンだから」。はい、この場合は別に怒っちゃいないんだよ。「サムスンだから仕方ないじゃん」という意味合いだから。一方「すっげぇ快適な走りじゃん」「だって、トヨタだから」。はい、これは真逆で「さすが世界のトヨタだろ」という意味合いだよね。天と地ほどの差がある「だって、○○だから」だけど、対象はほぼ同じような着地点なんだ。前者の場合では「だって、サムスンだから」で許されるというのは、そこには人徳でも信用でも何でもなく純粋に哀れみしかないにしろ本当にスゴイことだ。しかしだ、ひとつだけ例外がある。例えば、関東では電車内のリュックの「前抱え」はかなり浸透しているが、関西では滅多に見掛けないらしい。通勤&通学で混み合う電車内でリュックサックや鞄を前に抱える「リュックマナー」。これを朝のラッシュ時の京都市営地下鉄で検証してみたところ、常識人である「前派」は17人とごくわずかで非常識人の「後ろ派」はなんとその2倍以上だったとか。なぜか?それは「だって、京都だから」。この場合の解釈としては「ま、京都は治外法権だからしゃーない」「なにチマチマしたこと言うてはりますのや。リュックはんは背負うもんどすえ」などとそれぞれの立場からてめぇ勝手な意見が出てきて収拾がつかない。お、恐るべし京都人。そこで『たねや』の水ようかんに井村屋先生の粒あんをトッピングした。「美味しいの?」「だって、この僕だから」。

水ようかん