社会人1年生のとき、部署内だけの日帰り旅行があり、 貸切りバスで愛知県の豊橋へ行ったことがありました。
そのバス内で3人の課長が若いバスガイドに対し、酷く横柄な態度を 取っていたので、ペーペーの私は見るに見かねて軽く注意をしました。
そのときベロベロに酔った3人は「ふざけるな!俺たちは日頃、お客さんに ペコペコしてんだから、こんなときくらい好きにさせろ」と、
「○○だら~」という生理的に受け付けない遠州弁でそう反論しましたっけ。
まぁ、どうでしょうかねぇ。社会人としてだけでなく、 人として「こうなりたくはないな」と確信した典型例でした。
先日、同じようなことを言った1人の社長と会いました。
その社長曰く「人間の器はすべてに一貫性を持っているか否かで決まる」と。
つまり、床が油でベトベトの中華料理店では高飛車で横柄な態度を取るのに、 ナイフとフォークのレストランでは借りてきた猫のように大人しくなる奴は
箸にも棒にも掛からないゴミのような存在だということです。
三流の店でも一流の店でも紳士的に振舞う人間が素晴らしいのは当然のこと、 もっと言えば、双方の店で高飛車で横柄な態度を取る奴のほうが、
店の良し悪しで態度を変える奴よりもズッとマシだということです。
それに、そーいう奴に限って外見でしかものが判断できないために、 往々にして判断を見誤り、クレームばかりを引き起こしかねません。
なんでもかんでもT(時間)P(場所)O(場合)の使い分けが 通用すると思ったら大きな間違いです。
それは、処世術としての1つのツールに過ぎません。
人間の器は、誰に対しても一貫性を持って接するその態度で決まるものです。
┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────
我が家のモットーは「人間はみんな同じ。頭も腰も限りなく低く接する。 そして相手が調子こいたら、完膚無きまで徹底的に打ちのめせ!」です。
中3の次女など誰にでも普通に話すので、 学校帰りに近所のおばちゃんと道端で2時間近くも話し込むし、
荷物を届けに来たクロネコさんとも20分くらい世間話を楽しみます。
それはそれで少々、厄介なことだとは思いますが。
自分の立場や優位な地位を利用する奴ほど虫酸が走るものはないですし、 薄ッい人間だことと哀れになるものです。
どーいう育て方をされたら、そんな一反木綿(いったんもめん)のような ペラッペラな薄ッい人間になるのでしょうか。
今でもその3人の課長の酔った顔、しゃがれた声は鮮明に覚えています。 この先の人生に何があろうと、あーいう生物だけにはなりたくないです。
では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━