一週間前のこと、知人のK君が自動車事故を起こした。国道から外れた田舎道での出合い頭の事故だった。相手が優先道路を走り、K君は一旦停止線がある細い道だった。すぐに駆け付けた弘道は、その現場を見るや否やK君側に8割以上の過失があると確信した。ただ、相手は20代のとび職スタイルで「何か吸ってるのか?」と疑いたくなるくらい笑顔で親切だった。K君は「停止線の前でピタッと止まって右、左、右を見てからアクセルを踏んだ」と力説した。おそらくそれが事実だろう。田んぼの中の田舎道だ。右、左、右を見てからアクセルを踏んでも横から80キロ以上のスピードで突っ込んで来れば確実にぶつかる。結果、K君の過失が9割だった。納得がいかない彼に「判例通りで仕方ない」と諭した。もっと言えば、信号も防犯カメラもセンターラインもない田舎道を走ったことが問題だ。そこで「起きた結果」ではなく、そこを「走った行為」が諸悪の根源だ。私にはセンターラインがない道を走ってまで行きたい所はない。そこでだ、さすがに歩道なのでセンターラインはないが、ぶらっと散歩に出たつもりが片道1時間近くかけて岐阜城の麓に辿り着いた。紫外線で頭が痛い。もうこんなバカなことは二度としないと心に誓った僕だった。ま、僕に心があればの話だが。