砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

切ない努力:刺す側の人間になることだけは絶対にNG

そこで実際にあったシーンを使って説明しよう。一昨日のことだが、日曜日の朝っぱらだというのに市民運動会の開催を知らせる広報車が大音量で町内を回っていた。そこで僕は「日曜の朝っぱらからじゃかましいんじゃ!」とリビングの壁に向かって叫んだ。すると次女が「そんなこと叫んでたら、また近所の人から変な目で見られるよ」と言った。ハハハ、この僕は変な目で見られているようだ。「パパはね、近所付き合いができない体質なんだよ」「市民運動会のリレーに出たらバトンを背中に突き刺されるかもね♪」「ハハハ、いいこと言うねぇ。そーいうシチュエーションでは嫌われ者には2つの災難が想定されるんだよ」「何?」「刺される側と刺す側になることだよ。ミヤネ屋の取材に対して『あの人ならいつか刺されると思ってたわ』と近所の人たちから言われるよりも『あの人ならいつか刺すと思ってたわ』のほうがつらいんだよね。だからね、パパは絶対に刺す側の人間にだけはなっちゃいけないと思ってるの」。はい、父と娘は日曜日の朝っぱらにふさわしい会話を楽しんだ。