砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

空き缶おじさんに見る人間社会との共存の仕方

さっそくだが昨日の約束どおり空き缶おじさんについて軽く語ろう。我が家の町内では毎週金曜日がビン・カンを出す日なんだ。すると、どこからともなく汚い自転車に乗って現れる空き缶おじさん。ちなみに、空き缶おじさんと呼んでいるのは我が家だけだ。自転車の前のカゴや後ろの荷台に大量の空き缶を積んで走る空き缶おじさん。いったいいくらになるのだろうか?そんなことより風の噂では旧帝国大学を出ているかもしれない。お勉強はできるらしいが、だったらなぜ働かないのだろうか?ハハハ、そんなもん人間関係の問題に決まっとるがね。「人に使われたくない」というのもあるが、見落とされがちな「人を使いたくない」というケースも何気に多い。ま、どっちにしても社会生活がなかなか困難な不適合者なのだろう。では、なぜ僕は大した大学も出ていないのに人一倍、賢そうなフリをしてシャーシャーと生きているのだろうか。誤解しないでほしい。お気楽に生きているように見えるけど弘道は弘道なりに頑張っているんだよ。話を戻そう。答えは超簡単だよ。令和の世の中を生き抜くためには確実に要領がいいか着実に運がいいかのどっちかしかないんだよ。教科書の字面を記憶しているだけでは便所の蓋にもならん。生まれて54年と8か月間、日常生活で三角形の面積や最小公倍数と最大公約数の違いについて求められたことなど一度もない。人より運が悪いと思うなら何事も要領良くちゃっちゃとこなすこった。昨日、長浜からの帰りにJR岐阜駅構内で2日間に限り販売していた岐阜グランドホテルの「特製あんぱん」と遭遇した。2~3時間で完売するらしいから僕はつくづく運がいい。ちなみに、この「特製あんぱん」は僕のあんぱん人生の中でベスト3に入る逸品だ。

莉子ちゃんと特製あんぱん