砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

紙の紙一重

はい、クリスマス・イヴには山下達郎の定番をYouTubeで視聴し、クリスマスの夜にはディケンズの『クリスマス・キャロル』のページをめくるというすっげぇ分かりやすい行動パターンのミーハーな自分が愛おしくて仕方ない巻頭文はここまでです。ふと思ったが、ミーハーって死語か?まあいい。ちなみに、あくまでもページをめくっているだけで読んでいるわけではないのでイチイチ念のため。さらにちなみに、僕のそれは初版が1952年の村岡花子訳のものなので『クリスマス・カロル』と表記されている。僕のとっておきの個人情報を共有できる喜びを今一度、じっくり噛みしめたまえ。とは言え、小説はいいよね。このように何回も読み返すことによってさらにより味わい深くなれば、年齢を重ねるごとに解釈も異なってくるという新たな気付きも生まれる。念のためもう一度言おう。今回はあくまでもページをめくっているだけで読んでいるわけではない。ったく、僕は磯が死んだ。何回も同じことを言わせるな、この野郎。ところが同じ活字でも新聞はと言えば、一週間前のそれはよく燃えるゴミ同然。せいぜい年末の大掃除の際に丸めて窓を磨くために利用されるのが関の山だ。ここまで書いて言うのも何だが、今回はどうやってオチを付けてどのように〆ればいいのだろうか。

『クリスマス・カロル』