冷蔵庫の中のサランラップに包んであった黒豆を甘納豆とすり替えたのに、 娘たちは何事もないように普通に食べていた@言い出せなかった杉山です。
ちなみに、どちらも砂糖をベースにした豆なので大して味は変わりません。
ですから、目を閉じて食べたらマクドナルドとロッテリアもまず同じです。
さぁ、そんな甘納豆の表面の砂糖を洗ってメープルシロップで艶を出した ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。
■どんなにいいものでも見せ方が悪いと売れないですし、
どんなに悪いものでも見せ方がいいと売れるものです。 30歳の若い起業家と飲みながらそう私は言いました。
■人でも物でもきっとそうですが、
売れない原因は表現の問題です。 きっと偏り過ぎているはずです。
■そう、私がよく感じるのは「目」と「瞳」の違いです。
物を見ると言う機能はまったく同じのはずなんですが、 使い方や表現によってまったく異なる印象を与えます。
■だから、物を売ろうとするときには、
みんな「瞳」の方の表現を使います。 キレイに美しくだけ見せるはずです。
■それは人でも同じことです。だから、
女性でも「瞳」を使って表現します。 すると男性はほとんど近づけません。
■だって、寝るときもクリスチャン・ディオールのスーツだと思うからです。
だから、非の打ち所がないように見えるものほどなんの魅力もありません。 しかし、人でも物でも一生懸命に美しい「瞳」を使って表現をしています。
■だから、欲しいと思ってもまったく手がつけられない状態です。
その若い起業家は「瞳」の表現ばかり使って売ろうとしました。 私に限って言えば「目」の部分がないと絶対に手は出しません。
■そう、クリスチャン・ディオールが似合う人は好きですが、
それしか着ないような人はだれからも相手にはされません。 要は、最終的には素の部分で上手く見せることが肝心です。
┃編┃集┃後┃記┃───────────────────
これは「瞳」がメリットで「目」がデメリットって訳ではありません。 だから、素の部分と一張羅のブランドスーツの使い分けってことです。
多くのサイトを観てもそんなことをよく感じるし、 人と会っても「瞳」で演じている人だと思います。
私は素の部分が感じられないと近づくことができません。
物を見ると言う機能はまったく同じ眼ですが、 それを「目」とか「瞳」と使い分けるだけで、
まったく異質なものへと変わってしまいます。
だから、よく見ればそのもの自体は大して変わりません。 キレイに美しく表現するばかりが良い訳ではありません。
では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━