砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第0810滴:自分だけの椅子

青森県の遠藤浩一さんから教えてもらったスヌーピー「でつ」の絵文字を 5人の社長に「でつ ←スヌーピー」とメールした@返信が0の杉山です。

ちなみに、福岡県の女社長から「ふざけているの?」と電話がありました。

ですから、私が「ふざけてなかとです」と博多弁で答えたら叱られました。

さぁ、そんな諸悪の根源はこんな絵文字を教えた遠藤浩一にあると思った ってハナシはバシッとやめて、今日もサラ~ッとお読みください。

■思えば、たしか私が最初に就職した約20年前は、

新卒の4人に1人が一生平社員だと言われました。 就職は楽な時代でしたが出世は困難な時代でした。

■そのとき私は一生平社員だと思いました。だって、

親父の縁故で無理矢理に採ってもらったからです。 元々は居ても居なくてもどっちでもいい人材です。

■その年の新卒は120人いましたが、

117人は理系の大卒ばかりでした。 引き算して残った3人が文系でした。

■社長の訓示があるとのことで120人全員が一箇所に集まりました。

まったく知らない者同士が初めて集まったのに3人は固まりました。 文系の奴は理系の集団の中から自分と同じ臭いを嗅ぎ分けられます。

■そして、3人ともキレイに親父の縁故だけで入社していました。

そのとき私は4人に1人のサラリーマンになると確信しました。 だって、別に要らないけど居てもいいよって感じがしたんです。

■下の娘が4歳のときにパスポートを作りました。

私が親権者として署名欄にサインを書きました。 だから、私がいないと娘は海外には行けません。

■それとまったく同じことだと思います。だから、

親父がいなくなったら私の価値などないんです。 そして、その時点で出世に対する欲は0でした。

■所詮、出世なんて椅子取りゲームと同じだと思いました。

要は、決められた数の中だけで競い合っている競技です。 結局、いくら頑張っても新しい椅子はきっと増えません。

■だから、決してひがんでいる訳でも羨ましがっている訳でもありません。

出世は限られた人間がジッと順番を待っているものだと思っただけです。 いくら待っても順番が来ない私は自分で椅子を作ればいいと思いました。

┃編┃集┃後┃記┃───────────────────

22歳の春に出世に対する欲はまったくなくなりました。 それは最初の大きな会社の中だけの出世ではありません。

出世は椅子取りゲームだと自分の中で決着したら、 どんな会社でも所詮、同じだろうと思ったんです。

だから、社会人として出世を望んだことは一度もありません。 一日でも長く給料をもらえる会社が一番だと思っていました。

そして、その考え方は今でもまったく変わりません。 だって、営業部長とか総務課長とか言った肩書きは、

ジンバブエとかナイジェリアでは通用しないんです。

それどころかその会社でしか使えない子ども銀行の紙幣と同じです。

だからと言って、自分で自分の椅子を作ると言うことは、 無理矢理に起業や独立をすると言うことではありません。

椅子なんて会社じゃなくても家庭にでも作れるはずです。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━