砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第1894滴:利益の本質と本音

ちょっと前に「事業仕分け」が流行りましたね。

ムダをなくすという大義名分の下、派手な公開処刑のことです。 賛否両論はあったものの、世間からは概ね評価されたようです。

しかし、私はあのような行為は愚行だと思っています。

例えば、一般の企業が戦略会議をしたとします。

結論が「不景気だからムダをなくそう」という決着点となりました。

これ、どう思いますか?

「ムダをなくす」とか「節約をする」というのは、 他に打つ手がまったくないときのウルトラCです。

つまり、無策&無能と何ら変わりません。

税金の垂れ流しだろうが官僚の天下りだろうがいいじゃないですか。

それ以上に稼げばだれも文句は言いません。

それ以上に稼ぐ策を練るのが本当の「仕事」です。 ムダを削るのは打つ手がないときの「作業」です。

もっと大切なことは、決算が終わり利益が500万円出たとします。

爪に火を点すかの如く切り詰めて確保した500万円の場合と だーだーに使いまくった結果、500万円の利益が残った場合。

利益はまったく同額なのに、その満足感は雲泥の差です。

切り詰めて確保した利益では、そこから豊かさは微塵も感じられません。

ましてや、それが国家レベルなら尚更のことです。

ムダという分母の上に利益という分子が乗ってはじめて、 安心感と安堵感と満足感が得られるのではないでしょうか。

利益を1とした場合、1/3より1/5のほうが安定して見えるものです。

┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────

「昼食時に電気を消して回る社長の愚かさ」につながるものがあります。

ランチタイムだろうがなんだろうが、極端な話、誰もいない夜中でも バンバン電気を点けまくっていればいいじゃないですか。

電気代以上に稼げばいいんだから。

それどころか社員のモチベーションを下げることばかりやっています。

事業仕分けもそう。テンション下がりますよねぇ。。 家計簿をつけてるんじゃないんだから!と私は思う。

ムダがそのまま豊かさに直結するとは思いませんが、 豊かさの構成要件の1つにムダがあることは事実です。

チマチマと家計簿をつけて一喜一憂する人生だけはやめましょう。 使った以上に稼げばいいし、それで世の中が活性化するんだから。

では、また次回、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━