砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

視覚で映る知識と思考で創る知識のその違い

昨日の午後5時28分頃、快晴から急に雷鳴が轟くと数秒間で土砂降りになった。ちょうどそのときバスから降りた帰宅途中の次女は民家の車庫の中で雨宿りをしていた。雨はなかなか止まなかった。それどころか激しくなっているようだった。次女の困惑した姿を見た近所のおじさんが「よかったら傘、貸そうか?」と言ってくれた。7分後、次女は無事に帰宅した。清水さん、どうもありがとう。これから天日で乾かした傘とお礼のお菓子を持って行かせます。安い世間も捨てたもんじゃないね。話はコロッと変わってテレビで再放送中の『Dr.コトー診療所』を録画してボーっと見ている僕だが、この作品はもともと連載漫画であり原作者は岐阜市出身の山田貴敏だ。僕と同世代だから自由書房かパルコかどっかですれ違ったことくらいあっただろう。だから、そんなことはどーでもいいんです。漫画で見た印象とドラマで見た印象はちょっぴり違うが大局的にはほぼ同じ。しかし、これを小説で読んだとしたらどうだろう。登場人物はもとより舞台となる架空の志木那島の海と空のブルーも雲のホワイトも自分の想像したものとはかけ離れているだろう。視覚から入る漫画や実写などはそのまま映像として頭に残って固定化されるが、思考から入る小説は自分で想像した姿がイメージ化される。今まさに、僕っていいこと言っている?それはそうと今日の晩ご飯はゴマ塩たっぷりの赤飯だった。業務連絡です。結局、清水さんはとてもいい人すぎてお礼のお菓子を差し出しても頑なに受け取りを拒み続けたようです。そのため父であるこの僕がそれなりに責任を持って美味しくいただきました。

Dr.コトー診療所