砂漠に水

...Drop by drop shifts the desert to oasis.

第1667滴:その人が評価される理由

例えば、横断歩道でお年寄りに手を貸しているヤクザを見掛けたら、 ほとんどの人が「意外にやさしんだ。。」と思うだろう。

ところが、介護を生業としている人がそれをやったとしても、 だれ一人として「意外にやさしんだ。。」とはまず思わない。

むしろ、それをやらなかったら、当然のように誹謗中傷を受ける。

本当は、どちらがいい人なのだろうか。

しかし、これは往々にしてあることで、特にサラリーマンの世界では、 このギャップ(意外な部分)がその後の出世に大きく影響する。

できる奴と思われている社員がそこそこの成果を上げても当然だが、 ダメだと思われている奴がそこそこの成果を上げると称賛を浴びる。

また、前者の営業成績がちょっと下がると「さぼったのか」と疑われるが、 後者のそれが下がっても評価の対象にも上司の感情にも影響を与えない。

本当は、どちらがいい社員なのだろうか。

これは男女の仲でも同様で、2人はお互いの中身に惚れ合うわけではなく、 その人のギャップ(意外な部分)に興味が湧くだけだと思う。

本質などどうでもいい。ダメだと思った人が頑張ったから、 その伸長率に対して早まった好意を抱いただけだ。

だが所詮、ダメな奴はダメだから、3年後に別れるハメとなる。

しかし、サラリーマンが出世をしたり長く会社に居残るためには、 このギャップを上手く利用しない手はないと思う。

自分の中身や本質を磨くことを努力と言うのではなく、 「ほう~」と思われるようなギャップを見せつける運動を努力と呼ぶ。

「中身が大切」とか言いながら、世間の連中はその程度のレベルだし、 その程度の稚拙な眼力しか持ち得ていない。

それどころか、下手をすると中途半端に中身がいい奴は、 ちょっとでも↓だけで「さぼっている」とマイナス評価を受けてしまう。

多くの人々は、努力をする対象がズレている。 いかに見せ掛けをよくするか、伸長率を大きく見せるか。

親から譲り受けた小さな会社を上場企業にまで育てた二代目よりも、 ホームレスから社長になった遊び人の方を世間は評価するものだ。

どう考えても間違っているとしか思えない。

30歳を過ぎた人間の中身や本質など今さら変わるはずもない。

人は、変化した部分しか評価できないし、見ることができない。 目の前の人間の中身や本質を見抜くことなど絶対にできはしない。

┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────

プロ野球でもそう。ドラフト1位で入団した選手は大変だと思う。 億を超える契約金をもらったがためにそのプレッシャーは大きい。

やって当たり前。1億も払ったんだから。

一方、下位指名の選手はと言えば、 ちょっとの努力で過剰なまでの評価を受ける。

10分の1の1千万しか払っていないんだから。

中身や本質は、1億を払った1位の奴が上に決まっている。 ただ、大きなプレッシャーに押し潰されただけだ。

結局、1位指名を受けたのに生き残れなかった選手が多いということは、 中身や本質ではなく、ギャップに世の中が左右されているということだ。

この世の中、特に世間の眼力ほど甘いものはないと思う。

では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━