丁寧にとかした髪は限りなく銀色に近い白で、定番のグレイのスーツは 容赦なく照りつける夏の日差しをも遮るような崇高な匂いを感じさせた。
どーいう素材なの?と思いますよね。
そんなイタリアの孤島生まれのような渋い社長から色紙と筆を手渡され、 「何でもいいからさ、一筆書いて」と吐き捨てるように頼まれました。
私は「ほぁ~い☆」と答えると片岡鶴太郎のように左手で書き上げました。
『無難』。
案の定、イタリア崩れの社長は「何それ?」と怪訝そうな顔で訊ねるので、 私は、人差し指で「ぶ・な・ん!」と社長の鼻の頭に向かって答えました。
どうやら不満たらたらのようです。
きっと、その言葉の意味を「事無かれ主義」っぽく捉えているのでしょう。
しかし、この「無難」ってすっごくいい言葉だとは思いませんか。 困難が無いんですよ。
これを読んでいる人の中にも「挑戦」とか「チャレンジ」という言葉を 無意味に好む人が多いと思います。
しかし、それは無難な人生を送るために若い時分に済ませることであって、 間違っても還暦を過ぎたこの社長が目指すものではありません。
「ふざけるな!死ぬまで挑戦だろうが!」と言う奴に言いたいのですが、
それは「死んでもいい人間が吐くセリフ」です。
どうして死ぬまで辛い目に遭わなきゃいけなのでしょうか。 そんなのラーメン・オーメン・僕、ゴメンです。
いいですか。50歳を過ぎたら挑戦もチャレンジもできませんて。 それどころか、老害の域に片足を踏み込んでいるくらいです。
今一度、この言葉の意味をよく味わってみましょうよ。
『無難』。無難に生きることが本来の姿だと思います。
┃一┃筆┃後┃記┃───────────────────
あるいは「事無かれ主義」だけでなく、大金持ちでもなく貧乏でもない 「平々凡々」という印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
高木、ブー! それは、思いっ切り間違っています。
困難が無いんだから、上とか下の階層はありません。
無難な人生というのは、定年まで過ごしたサラリーマンのことではなく、 一日でも長く生きようと注力した積み重ねを自分で納得できた一瞬です。
お笑いだぜ。。自分でも何を言っているのか分からなくなってきました。
でも、分かっていただけますよね?
頭の中を見せるから、お願いだから分かってよ!と思うことが、 日常茶飯事です。
では、便宜上、死ぬまで挑戦&チャレンジができるとしましょう。
しかしそれは、20代は20代の。30代は30代の。 62歳には62歳なりの内容です。
55歳がK-1のリングに上がることを決して挑戦とは言いません。 周りから「無謀なジジイ」と指をさされて笑われるだけです。
できるだけ困難を無くす生き方、困難に遭わない生き方が理想です。
では、また明日、お会いできることを楽しみにしております。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━